旅する理由

旅する理由。
それを時々考える。
自分にとってのこの旅は
ずっと続けて来た日常からの脱出だった
新しい価値観と生き方を求めての。
物や既存の植えつけられた価値観から自分を解放するため
2年前の夏、ほとんど初めて日本を出た。
言葉も何も分からない僕には夢のような挑戦だった。
旅を共にする相棒(自転車)の修理技術さえほとんど知らないまま。
最初は胸躍るこの挑戦の勢いだけで、ただがむしゃらに、それまでには無かった
見聞を日々増やす事のできる楽しさに自転車を漕いでいた。
今でさえ、その理由が、自分の欲しい未来がはっきりと見えない。
人は環境に適応してしまう生き物だから、よほどひどい世界でもない限り
順応してしまうので貪欲に求める事をやめてしまえば、
小さな幸せの中、心を慰めて生きられるのかもしれない。
しかし、僕はその均衡の中で、自分に言い聞かせる事ができなかった。
だから、結果、この旅に出た。
生きることって何だろう?幸せってなんだろう?何のために自分は生きているのか?
それは調和の中にあるのだろうか?
今日、標高1400メートルの町カルタゴから120キロ先のサン・イシドロという町を目指した。
目的地の町は標高700.だからずっと下りかと言えば・・・・。
途中3200メートルの峠が。
朝、7時出発で昼ごはんを食べ峠のてっぺんに着くまでおよそ77キロはじめの5キロ以外は
ほとんど、登り。。。。
その後40キロはずっと下りのとんでもないコース。
その途中、道から登ってきた町の姿や、雲の傘を被った山々の大パノラマが見えた。
その瞬間、訳も無く涙が頬をつたった。
なぜかは分からなかった。
でも、僕はひょっとしたらこの瞬間のために旅をしているのかもしれないと思った。
日本を出る前に日本で見た、原色にいろどられた鮮やかな世界。
理由も無く、この瞬間が永劫続いてゆく事を願ってしまう。
この世界を見るために。
再開した旅だったが、ある出来事から自分の価値観を疑い始めた。
自分の理解を超えた存在。
自分の幸せとは、自分が自身で幸せを作り出せる事にある。
他人に依存するのでは無く。本当の意味で一人で生きてゆける事。

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