旅の醍醐味②~偶然は必然~

朝5時に起きて身支度を整える。
今日はやっと昭通市へ行ける日。
昭通市まで120キロ強。
依然山岳ルートだが、昨晩宿泊まりだったし
今日も宿の予定。キャンプ場所を心配しないで
走ればいいだけだ。
いろいろストレスがたまっていた中国走行。
スタイルを変えて、これからしばらく宿泊まりで行こう
かと思っていた。
7時前に荷物を階下に運んでいると、
昨日のうざい息子が話しかけてきた。
日本円えを元に変えてほしいと再び。
61.8元でいいから2枚交換してほしいと
折れてきた。もうめんどくさいので、OKした
お金を持って出てきたのはおかん(宿主)
121元を渡してきた。(61.8元なら123.6元だろ?)
と思いながら、めんどくさいし、関わりたくないし
早く出たい(120強走らんといかんから)ので
それで手を打って昨日払った宿代の押金(デポジット)40を
返してもらって、出ようとすると、今度硬貨はいくらだ?
と息子。イライラする俺。10円玉を一枚取り出して
「これ、やるよ」
と押し付けた。
「え、いいの?」という顔をする息子
単純なバカ息子、おそらく自分で金を稼いだりしたことなど
ないのだろうと思った。
そんな最悪な出会いを忘れるかのように走った。
気持ちのいい天気の中
町の郊外まで緩やかな道が伸びていた。
威宁の町はどうも今、開発、発展中でデカい
道が何にもない場所に作られていて
いかにも中国らしかった。
成都から飛ぶと決めてからは
心も晴れ、これから宿泊まりで行くと
決めてから、気分が少し楽になった。
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120キロの工程は
なかなかアップダウンの多いものだったけれど
道路はいたってきれいで、
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さんざん毎日1000m以上登ってきたので
登り坂もまったく怖くなくなっていた。
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昭通市に入れたのが、午後4時ころだったろうか
市というだけあった大きい町だった
が雲南の一地方小都市らしい。
宿屋を探して走っていた。
最初に見つけた宿、
断られた(何か部屋がないのか何か)
2件目、結果断られた(こっちも部屋がないよう)
3件目、不愛想なおばちゃんが対応してくれ
全く中国語を解さない俺に困り気味ながら、金額だけは
聞き取れるので、どうやらOKの様だった。
お金と身分証を出してチェックインした。
部屋はなんと最上階。4階、実際2階が1階と
数えるので5階になる。が部屋はバストイレ付きシングル
で68元となかなか安い。
自転車をロビーで預かってもらう形で荷物を運んでいると
背の高い一人の若い中国人青年が話しかけてきた。
かれは多少英語を話す。
どこから来たとかどこへ行くとか、旅の話を
さらっと話した。その場はそんな程度で終わった。
部屋に荷物を入れ、洗濯やシャワーを済ませ、
夕飯へ町へ向かった。
町というのはそこの色が必ずあって
ここは、なかなか古めかしいさびれた感じの町
だった。やっと見つけた兰州拉面店で飯を食べた
帰りに肉まんをふかしていた店を見つけて
4個買って帰った。もちろんビールも。
部屋でさっき買った包子を食べようとしてると
ドアをノックする音が、
ドアを開けると夕方話した青年が立っていた。
スマホの翻訳機能を操って、
「これでもう僕らの間に言葉の壁はないよ」と
言ってにっこりする彼。
良かったら、夕飯行かないか?と
正直さっき食べたし、今から買った包子を食べようと
思っていたし、また、思いもかけない出会いですか?
昨日のそれでかなり懲りたしな。
迷ったけど、せっかく誘ってくれた彼、
嫌な奴に思えない。
誘いに乗っていくことに。
飯屋は本当に隣の隣くらいの飯屋で
彼がワンタンのキムチ風味みたいなやつを頼んでくれた。
彼はもう済ませてきたからいいと、俺の分だけ。
話しながら食べた。いろいろ旅のことについて
聞かれる。それにこたえるたびに彼は驚きながら
喜んでいた。
食事が終わると彼が会計を支払った。財布をだして
払おうとすると、彼が制止していいからいいからと。
そのあとちょっと夜景がきれいで人がたくさん集まるいい場所
があるからそこを案内するよ、そのあとバーにでも行って
酒を飲もうと彼。

彼と俺はいったんホテルの彼の部屋に戻って車のキーを
取りに行った。そのときまあ、一杯やりなよと、白酒(結構度数の強い
中国酒)をお互いのコップに、ほろ酔いになって
車で号GO。やるな中国。(中国でも飲酒運転はダメです)
15分くらい町を流しながら話した。歌の好きな彼は
カーステレオから流れる歌を口ずさみながら運転する。
日本の好きな歌はこれだよと、浜崎あゆみの何かをかけてくれた。
公園について一回り歩く、週末ということもあって大勢のひとが
集まっていた。俺の旅の話を聞いてうらやましいという彼、
中国では家を継がなければ(継ぐというのは仕事ではなく親や家族と
暮らす)ならないから出来ないなと彼。仕事もあって若くて彼女も
居て、幸せそうにこちらからは見えるけれど、やはり、ないものを
ほしがるのが人間だろう。
そんな意見を聞いていて、なんだか自分がとても贅沢な生き方を
しているんじゃないか?と思わされ始めた。
公園で歳を聞かれた、笑いながら41歳独身だよとスマホ越しに
言うととてもびっくりして彼、そんな風に見えないかったけど、41歳の
おじさんでした。と翻訳機能が乱暴な日本語に訳す。笑
彼は25歳だった。
不思議と海外で仲良くなるとき相手の年齢はいい意味で感じられない。
16も離れていたら日本ではまず対等に話したり仲良くできたり
しにくいだろう。
そのあと車に乗って宿近辺まで戻った。
駐車場に車を止めて、繁華街へ、焼き肉店に入る
酒をコンビニで買って持ち込みで(店に酒が置いてなかった?)
買ったのはビールと白酒。
中国では酒を飲むときほとんど毎回、乾杯をして仲間同士
楽しく飲む。何回も乾杯しながらいろんなことを話した。
彼の結婚のこと、家の事、俺の旅の事、成都以降の予定の事、
肉の事、にらを中国語でなんというのかとか?
お互い結構べろべろに酔っぱらった。明日出るつもりでいた
俺。彼に、「明日、出られないからもう一泊するよ」
と話すと喜んでくれて、「だったら明日俺の職場を案内するよ」
と彼。「朝、8時半に君の部屋の扉をノックするから」と
飲んで食べ終わって店を出る。
会計の時、店の親父と口論し始める彼。
どうやら会計が気に入らないらしい
自己主張をするのが中国人。さすが、
俺がお金を払おうとするのを制止して
「いいからいいから」と店のオヤジとやりあう。
「漢だな」と思いながら、見ていた。
結局折れて、向こうの言う金額53元をきっちり
払って、最後に悪態をついて店を出た。
俺に「あの店はダメだ、あんなのは作法が悪い」
とスマホ越しに説明してくれた。
そのあと肩を組んでご機嫌で帰路に就く2人。
友達の作り方なんてもう、ずっと忘れていた。
気が付いたら、出会って酒を飲んでいた。
2017年5月20日、走行120.22km。

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