ウズベキスタンはいずれも古都の
サマルカンド、ブハラ、ヒヴァに立ち寄った。
ブハラを出てヒヴァ方面へ向かうと
道は次第に砂漠へと入って行く。
ブハラからヒヴァまで470km
所々小さい町や、道路沿いに食堂が現れる
ので補給面ではそんなにくろうしないが、
ぐっと、人影は少なくなりずーっと同じ景色が
続く。風は、場所や日によって吹く方向がまちまち
だった。ブハラを出て2日は向かい風が結構吹いていた
けれど、3日目からは絶好の追い風が吹いた
道が片側2車線の中央分離帯のある高速道路のような
奇麗な道だったことも手伝って、やっとホラズム地方に
入って町が現れ、一軒しか無いホテルで「ツーリストは
滞在登録が出来ないから泊められない」と断られ
次の町まで走るはめになった事も手伝って
1日の走行距離が自己最高の204.56kmをたたき出した。
ヒヴァで休養も兼ねて3泊した後、北西のカザフスタン
との国境を目指して走り出した。
国境まで600km。
町が集まるヒヴァ、周辺を出て再び国境まで向かうメインの
道へ出るカラカルパクスタンの中心都市ヌクスを出て
最後の比較的大きな町クンギラトで念のために水と食料を
多めに買って再び荒野へと走り出した。
砂漠地帯で雨が全然降らなかったのだが、
クンギラトをでて最初にキャンプした日の翌早朝。
テントに落ちる雨音で目が覚めた。
マジか?夜明けまでには上がるだろうと思って
寝たのだが、日が昇る時間になっても止まない
朝から雨が降っているのにテントをたたんで走る気に
なれず止むまで待つ事にした。
結局午後3時まで降った雨。
雨が上がってテントから出て空を見ると晴れ間が広がり
はじめていた。もう一泊ここで留まるかどうかと
思っていたが水や食料の限りもあるし、
少しでも走っておきたいと思って2時間程走るつもりで
撤収して走り出した。
翌朝曇ってはいたけれど雨は降っていない。
薄暗いうちから撤収し始めて走り出した。
一回休憩して走り出し、昼頃のこと
遠く進行方向の路上にポツンと影が見える
トラックや乗用車かとも思った。
道が1本しか無いのでなかなか交通量があるこの道
でも、その影のスピードは遅い。
次第に近づく影が自転車だと分かるまでにそんなに
時間はかからなかった。
実は自転車旅をはじめた時に相談に乗ってもらったり
して自分の愛車をオーダーしたお店を紹介してもらったり
した、既に自転車でオーストラリア、ニュージーランド、
北米、南米、ロシアや欧州、アフリカなど13万キロを
走っている大先輩のマサシさんが西から東に向かっていて、
連絡を取り合っていた。ネット事情の悪いウズベキスタン
だったので、ヒヴァを出たあとお互いに連絡出来ず
道は1本だからどこかで会えると思いつつも、
一昨日テントで雨のため3時までこもっていたので
すれ違ってしまったと思っていた。
その彼だと分かった時の喜びは大きかった。
昼頃には曇っていた空も青空になって、
360度地平線で何も無い路上、
中央アジア、ウズベキスタンの砂漠地帯で
6年弱振りに再会した2人の自転車乗りは
フルパッキングのお互いの愛車、同じ日本の店
でオーダーした自転車、とともに立ち話。
6年前、日本でお互いに帰国した時期も丁度同じ
時期だったために、東京で初めて会った。
そのときは、居酒屋で旅の事をいろいろ語り合った
、今度再会するときは旅先で会いたいと思っていた。
自分が旅へ戻る決心をして、彼に話した時とてもそれを
喜んでくれていた。そして、今日の日のように
旅先でお互いの愛車とともに再会する日が現実に近づいた。
あれから旅に戻るまで3年、そして旅に戻って10ヶ月
やっとその日が現実になった2人は時の経つのも忘れて
話し込む。気がつけば夕方になっていた。
そしてその道から荒野に入って行ってテントを張った。
テントを張りながら、夕飯を作りながら、ずーっと話していた
本当に楽しい時間だった。
翌朝も日の出とともに出られる様起きて撤収する
道に出てからもなかなか、話は尽きず、9時頃まで話していた
町や宿で会えたら飲みながら、飯食べながら話が出来た
のにとお互いに言っていたが、お互いビザのカウント
があったり、砂漠だったり、ゆっくりしていられない。
コレも旅ならでは。
自転車旅ならではの再会になってぐっと思い出に残る
時間になった。
お互い次回は日本での再会を約束して
名残惜しい時間に別れを告げた。
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