葛藤

1976年
この世に生を受けた僕は
今年の3月16日で38周年を迎える。
この38年間自分なり精一杯に生きてきたつもりだ。
この30代後半という年、
僕はなってみて初めて分かったけど、かなり微妙な年頃
いうなれば、若いというわけでもなく、年というわけでもない。
丁度、いろいろな想いが交錯する年齢ではないかと思う。
今までは、考えもしなかったが、後、12年したら、50歳
22年で60、還暦。
そう考えると、果てしない焦燥感に駆られるが、
鏡を見ると、細かいしわや肌のキメは20代には及ばないが、
なんら、20代のころと変わらないように思えるし、第一、そんな思慮深い
大人にあの頃と比べてなった気もしない。
 まだ、女の子にはモテたいし、世界中を見て回りたいとおもうし。
が、しかし、30代後半。
う~ん。
僕は、33歳になって初めて国外に出た。
2年と8ヶ月、およそ3年間無帰国でアメリカ大陸を走って
帰国した。
 あの、体験が忘れられない。
今の僕に活力と希望を与えてくれているのも
旅があったからだし、また、絶対に行く!という希望を持っているからこそ
今、僕は存在しているんだと思う。
ほど、強烈だった。
戻って、36歳。
あれから2年という月日が流れた。
帰国した時の理由は
旅は、金と健康があればいつでも来られる。
だから、今は日本で足固めを。
と思って帰国した。
 自分なりに思い描いていろいろ夢を見てみたが、
考えが甘かったのか、運が悪かったのか、うまくいかず。
金だけが消えていった。
 日本の現在の社会のシステムは、昔よりは実力主義になってきたとはいえ、
依然として、古い昔のシステムの上に成り立っており、其の上、続く不景気の影響
で、セカンドチャンス、サードチャンスを願う者にはやり直すのが非常に難しい世の中になっている
ようだ。新しいスキルを身につけるために学校に通おうとすれば、先ず、高額の入学金と授業料が必要となる。
 ま、そんなこんなで、38歳
ま、不景気でも、今ならスキルがなくても、就職口があるようだ。
給料はもちろん安いだろうが、2~3年我慢して必死に金をためれば
また、旅にいけるだろう。
仮に、そうして旅を5年して、
帰国した頃には、46歳。
資格なし、経験は、前職ならあるだろうが、果たしてそんな募集がうまくあれば
良いだろうが、これから、世の中の情勢がどうなるか分からないが、
かなり不安だ。
 う~ん。旅は出来るだけ若いうちに行きたい。
しかし、帰国後が心配。
今、頑張って何かの資格を取っておいて。。。。。
しかし、そんなに簡単に取れる資格なら、みんな取ってるだろうし。
と日々悩んでいるこのごろ。
 思いついたのは、看護師。これは、3年生の看護学校に受験をして入って
3年間みっちり勉強して3年後に国家試験を合格して晴れて免許がもらえるもの。
其のあと、就職して経験を積み一人前になっていくもので、最近は不景気の影響か?
資格を取って長く安定して働きたいという人が増え、30代や40代でも目指している
人がいるようだ。
 ただ、看護学校自体は、年齢制限等を設けていない学校もあり、何歳でも実力さえあれば
入れるようだが、やはり、周りは圧倒的に新卒の10台の女性が多くを占める中、同じクラスで
学び、学校生活を送ることなど、かなりハンディキャップを背負っての学生生活になること。
また、学生になること=無収入となるので、学費等の捻出問題が出てくる。
 仮にこれらの問題をクリアーして、今年1年受験勉強して、晴れて39歳で学校に入学して
3年後42歳で晴れて新人看護師になったとして、就職先が42歳新人看護師を必要としてくれるだろうか?
そして、もしうまく就職できたとして、経験を積むため、お金を稼ぐため、3年頑張って45歳
お金たまって旅に出たとする。
 5年旅をして50歳で帰国。
50歳の実務経験3年の看護師に就職先があるだろうか?
不安が募る。
何にも不安はつき物だろう。
思い描いたように行かないのが人生だろう。
しかし、僕は、もう一度チャリ旅がしたい!!
この世で一つだけ願いがかなうとしたら
チャリ旅がもう一度満足いくまでしたい!!
最善の選択肢、チャンスを考え葛藤する日々です。

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