7泊お世話になった宿。
宿は2階部分から上で、自分の部屋は4階にあった
自転車と荷物を、この写真に写っている細い
通路から入って階段を上がって、3回、往復して
運んで登った。
それと同じ作業を朝した。
し終わる頃には大量の汗が顔中をつたっていた。
一仕事終えたところで、水分補給して出発
今日はベトナム国境方面へ向かうが、向かう前に
方向が逆になるが、12キロ程寄り道して
プノンペン市街の南西にあるチュンエク大量虐殺センター、
通称キリングフィールドと呼ばれる場所を見学に行く
事にした。ここは1975年〜1979年頃にかけて
ポル・ポトが率いる「クメール ルージュ」によって
罪も無い人々が大量に殺戮された処刑場のあった場所だ。
ちょっと街からはなれた郊外にあるのでタクシーか
トゥクトゥクと呼ばれるバイクタクシーを利用してくるのが
一般的なんですが、それで10ドル20ドル取られるのも
しゃくなので、自転車でプノンペンを出るときに立ち寄ろうと
決めていた。
10数キロ走って本当に郊外にあった。
このキリングフィールドと呼ばれる処刑場は
ここだけでなくカンボジア全土に300以上あるそうで
一番有名な場所がここチュンエクだそうだ。
8時開園で8時に着いたのでまだ他に訪問者は数える程度
入場料3ドルで音声ガイドレンタル3ドル
の計6ドル。
音声ガイドは自分の得意な言語を選べるので
迷わず日本語を選んだ。
ここは出てきた遺骨が納められている慰霊塔
と展示物のある小さい博物館以外、
特に建物が残っている訳でないので
音声ガイド無しで廻ったら、何の事やら
さっぱりな感じになってしまう、そんなに
広くないので見て回るだけなら10分、15分
位で済んでしまうだろうが、ガイドを聞きながら
廻ると、ここで起った事の詳細がよくわかり
時間も自分は1時間半弱掛けて廻った。
慰霊塔にはでてきた遺骨が、科学的鑑定を済ませた上で
おさめられている。
450体の遺骨がでてきた穴の跡
このような穴が辺り一面に広がっていて
まだ、奥の方には掘り返される事無く、そのままに
なっている穴が40以上もあるらしい(死者の安らかな
眠りを起こさない為にそのままにしてあるらしい)
雨が降ったりして地表に現れてくる犠牲者の衣類や
骨、などを施設の人が数ヶ月に一度拾い集めたもの
この木は乳幼児が頭を打ち付けられて殺された木
発見当時、木にはは髪や脳みそ、おびただしい量の血の跡が
あったとの事。子供まで殺したのは、家族関係者を
根絶やしにして復讐をされない為だとか。
犠牲者の骨と、歯。
そんなに遠くない、40数年前に起った事。
カンボジア人が同じカンボジア人、同胞を300万人も殺害した
という事実。国民の3分の1が殺された
それも、独裁者の勝手な理想を実現するために
何となく知っていた歴史だったけれど
ここへ来て本当にあった事を自分の目で見て知り
考える事が出来て本当に為になった。
ぜひとも、カンボジアに来たなら訪れておくべき
場所だと思う。
終わり頃、訪問者が増えてきた。
さて、自転車に戻って、来た道を少し戻り
東進する為に1号線に乗る
プノンペン市街の南端をかすめて
プノンペンを脱出、するまでが大変
車、トゥクトゥク、バイクが嵐のように
入り乱れ、交通マナーが悪いのであっちこっちで
渋滞が起るは、道路工事で車線規制でまた渋滞。
と。それに今日は本当にいい天気で雲は結構あるものの
日差しはバリバリでめちゃくちゃ暑い。
プノンペンをでると
メコン川が見えてきた。
しばらくメコン川沿いに進むらしい
日本の援助で作った橋もあった
80キロくらい走って、といっても寄り道分を
引くと70くらい走って、1号線が、ずーっと沿って走ってきた
メコン川を渡る大きな吊り橋に向かう。
遠くに見えた時、結構デカいなと思った
間違いなく、中国なら、自転車駄目の標識が現れそうな
クラスの大きさ。笑
何とこれも日本の援助で作られたようだ。
橋はちょっとした名所になっていて
橋の一番高い場所では両側に人が集まって写真を撮ったり
何故か?何か食べたりしていた。
確かに景色は良かった。周りに高い建物も山も無い
のでずーっと向こうまで見渡せるから。
橋を過ぎてしばらく行った町で宿を取った
シャワーを浴びて町へご飯食べに。
日差しがあまりにも暑いので
シャワー浴びたのに、もう既にあせダラダラ。
堪らずすぐ現れた食堂へ
店主が英語でメニューを説明してくれた
野菜炒めとご飯。
ご飯をおかわり出来て、
2ドルだった。
久しぶりの走行で疲れた
今日はよく眠れそうだ。
2017年4月8日、走行84.74km。
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