翌朝、といっても今日、バスが正午12時に出るので
11時頃ここを出ればいい。
朝はゆっくり、でも、何も荷物が無いので
着替えたり、コーヒーでも入れたり
タブレットで調べも物したり(充電が切れた)も出来ない。
しかも、長距離移動のバスで何時間かかるか分からないので
言葉の出来ない俺は、水分や食べ物をあまり取らない方が
いい(トイレ休憩が頻繁にあるのか?分からない)と思って
断食期間にはいる。
チェックアウトするまでは、テレビを見て過ごしていた
もちろん中国語は分からないが、映像と漢字の意味で
内容が何となく分かる。
ニュースではロンドンのマンションで大火事があったようで
58人が死亡のニュースを何度も解説付きで報道していた。
大体、どこの国のニュースのキャスターの花形は女性キャスター
で、その国の美人、どういう女性が美しい、好まれているか?
が分かる仕組みになっているが、中国の女性キャスターは
皆ショートカットが多くパーマを当ててボリュームを出したような
髪型がほとんどだった。中南米では髪の長い、セクシーな衣装
で女を強調するような衣装、化粧のキャスターが多かったのが
印象的だ。
さて、そんな事を考えながら時間はやっとの事で10時半を回った
何があるか分からないから少し早めに部屋を出た。
ロビーで受付嬢に顔を合わせると
白々しい英語で
「ハロー」と言う彼女。
パスポートはすんなり戻って来た。
いったい何にそんなに時間がかかると言うのか?
謎多き中国。さすがだ。
チェックアウトを済ませ、デポジットのお金を返してもらって
外へ、隣の商店で水500mlペットボトルを1本買う
5元手渡ししておつり3元を
カウンターに放る店主。
さすが中国!
商品、おつりを回収して外へ。
ホテルのすぐ前の大通りでタクシーが通り過ぎるのを
待っていたら、1台のタクシーが停まって、運ちゃんが
こちらを覗く。一人既に女性が買い物袋片手に乗っている
相乗り出来るみたいだ。行く先を書いてくれた昨日の
メモをみせると、「分かった、オッケー」と言う事で
乗った。
乗って話しかけてくる運ちゃんに
「我是外国人」「不説中国語」
と知っている中国語で言うと
後部座席の女性が
「Where are you from?」
と英語で話しかけて来た。
いったいどうなってんだこの国は?
さすが中国!(今回はこっちの意味で。great!と言う事)
どう見ても主婦風の(マスクをしていてチベット系か漢民族かは
確認出来なかった)彼女。
日本からと言うと色々聞いて来た
どこへ行くのとか、ここには何日滞在するの?とか
一人で旅してるのか?とか。
時々運ちゃんにも分かる様通訳してくれる
そしたら、運ちゃんが言うには
俺がチベット人に見えたという。笑
最後にこの英語を話す彼女が
あなたは現地の言葉が分からないから、十分気をつけない
よ。と2回程念を押された。
彼女を先に下ろして、一路バス乗り場へ。
バス乗り場は昨日の運転手が連れて来てくれたので
心配なく乗っていられた。ありがとう!
到着して、いくらか?聞くと25元という。
昨日の話だと15元が相場。
ぼられているが、気持ちよく25元払って降りる
バス乗り場には1時間も前だと言うのにすでに大勢
乗客が待っていた。
言葉がわからない俺はいつ荷物を貨物室に入れるのか
状況を見て決めようと辺りを見ていたら、他の乗客は
荷物を既に載せている様。なので昨日の保管室から
チャリと荷物を出して来て積み込んだ。
12時近くなって搭乗が始まる、荷物チェックも
切符のチェックも何も無い。
さすが中国!
意外と多くの乗客が乗込める寝台風バス
だが、大量輸送のためか?キツキツに設計された
キャビンは小柄な人なら横になって足を伸ばして
居られるが、デカい俺のような奴には居心地の悪い
狭い場所でこれで長距離なら、せめて普通の座席
で狭い方がまだ楽に思えた。
出発してしばらく、昨日と同じ巻き戻しの旅が始まる。
あの不味いパン屋のある歇武镇(xie wu zhen)の町
を通って、坊さんがタクシーから降りてスマホで写真を
撮っていた峠を登り返す。
峠だろうが、バス(原動機付き)なのでグイグイと休むこと
なく登って行く。そして、3人部屋に泊まった
石渠县(shi qu xian)の町中を通り過ぎた
どの景色も見覚えのある景色だったし、どこに何が
あるのかも分かる異国の風景だったけれど、
やはり、奇麗さが全く、自分でチャリで走って見た
景色、必死で宿を探して廻った町並みのリアルさが
違っていて、どこか色あせた風景に見えていた。
しばらく走ったころ、バスが止まった。
どうやら何かの理由で通行止めになってるらしく、
トイレ休憩のため降りてみるがその原因元は遥か
先の方で長い渋滞の列が並ぶのみで見えない。
30分?1時間程待っただろうか、
バスの運転手が何か言う。みんなが荷物をまとめて
降りて行く。
おいおい、困った。ひょっとして、進まないから
バスを放棄して各自で移動手段を見つけるとか?か
と焦った。最後に降りて行った俺に運ちゃんが、
ジェスチャーでバスを乗り換えるという事を伝えて来た
どうも、同会社の成都から玉树を目指すバスが反対側に
来ていて、そこで乗客と荷物を交換(移動して)Uターンして
それぞれ成都と玉树を目指すようだ。
それにしてもバスが出て、まだ150キロくらい。
で、これだ。何があるか分からんな。
バスを出てチャリと荷物を出して
チャリに載せ
向こう側に歩いて向かう
とここで渋滞原因を見たが
なぜこうなってるのか意味が分からんかった。
新しい道にかかる小さな橋。
こちらはなんの損傷も無いし、竣工済みの(なぜなら玉树へ
行くときに通った記憶がある)道、橋なのに何故か通せんぼの
土砂の盛り土とブロックが積まれている。そこで渋滞。
そして脇にもう一つ旧道の残骸とめちゃくちゃに壊れた
旧道の橋が。是をみんな野次馬たちが眺め
何か作業をする重機たち。
????
この新しい橋のバリケードを取ったら
みんな通れるだろ!!!???
??????
さすが中国!
確かに数日前にチャリで通ったし、通った時は
こんなバリケードもなく渋滞も何も無かった。
?????
さすが中国!
お互いの乗客を交換する事で事なきを得た
バス会社。運転手も入れ替わって(長時間かけて成都から来た彼らは
また成都へ引き返すというハードな任務)再び走り出す。
峠の手前でヘトヘトになりながらキャンプした河原。
意外にも車道から見たら丸見えの場所だった。
峠のてっぺんで昼飯を絶景の雀儿山(que er shan)率いる雪山群
これも、この日暗くなる頃逆側から登って、本当に晴れていて
雲のない姿で奇麗なはずだったけれど、ちっとも、あの時の
感動や美しさはそこに無かった。
そして、「藏族 欢迎您」
と迎えてくれた马尼干戈(ma ni gan ge)の町。
もうこれをすぎると
暗くなって辺りは見えなくなって行く。
夜の10時前頃、自転車乗りのおじさんと話した
甘孜(gan zi)の町を通り過ぎ、町の外れの飯屋に
この時間に飯休憩?で停まったバス。
みんなは、というか食べない人も俺見たく居たが
食堂で飯を注文して食べていた。
中国人は、飯屋で飯を注文して出て来て食べるが
結構、残す奴が多い。あれも謎。
半分くらい残す奴も居る。
食べられない食材を全部、テーブルのうえに出して行く
奴。
あと、おばちゃんでも面前で平気で手鼻をその辺でかむ奴
(子供もまねして手鼻をかんでトローっと路上に放置する)
あと、痰をやたら「かーっ、ぺっ」とその辺に吐きまくる奴。
これ結構多いPM2.5のせいかとも思ったが、
しない人はしない。
あと、バスの窓から食い終わった桃の芯や飲み終わった
ペットボトル、菓子の袋、カップラーメンの汁などを平気で
捨てる奴。等
教育が成ってないのか?国民性なのか?
他国民として理解に苦しむ行動を(公共のマナーに反する行為)
を平気でする奴が居る。飯屋の敷地内に停まって飯を食べて
外へ出て敷地内でゴミを平気で捨てたり、痰吐いたり、タバコの
吸い殻捨てたり。ここでそうなのだから、
バス内も当然というか、目を疑ったが、
「かーっ、ぺっ」おやじが居てかーっと何度も
やっているのでどうしてるのか?袋か外にでも
窓から捨ててるのかと思っていたが、あるとき
バス内の通路にやってるの見た時は驚いた
それに、怒って言う奴も居ない。
さ!す!!が!!!中国!!!!
と、ここで中国の数ある不思議のごく一部
について触れて脱線してしまったが話を戻して。
俺は飯食べず。だって、お腹が緩くなってしまったら
困る。成らないだろうけど、もし成った時の事を考え
異国で不慣れな状態だから大事をとった。
そして、みんなが終わってバスに乗込んで
さあ、スタート。とおもったら。
バス、動かない。
?????
なんで???
なんと!!!
長距離バスにも関わらず!!!
運転手が2人いるにも関わらず!!!
(そもそもなんで2人居るのか普通は考えたら分かるよね?)
運転手が寝るために10時から翌朝5時まで7時間
(健康的な睡眠時間だよね7時間て、成都から長時間
来てもうすぐ着いて仕事終わりのはずが!
折り返すはめに成って疲れてるもんね。事故起こしたら
元も子もないもんね!!!!!)
バス、飯屋の前で動かず!!!
さー!
すーー!!
がーーー!!!
中国っ!!!!!!
そして翌朝5時
快眠時間7時間でリフレッシュした運転手が
エンジンを吹かし20日がスタート!!
バスは快調に甘孜(gan zi)から
チャリでくる時出がけにパン屋を発見して買いこそっと
ガソリンを売ってくれたスタンドのある炉霍(lu huo)
ワハハおやじに悩まされテント張りづらかった道孚(dao fu)
そして、八美(ba mei)と完全に俺が通ったルートを巻き戻す
てっきり炉霍(lu huo)から国道317をそのまま成都まで
向かうのかと思ったが、俺の通ったS303号を八美(ba mei)まで
来たのでそのまま亚拉雪山(ya la xue shan)を眺めながら丹巴
(dan ba)へ向かい小金(xiao jin)、日隆(ri long)、
四姑娘山(si gu niang shan)を行って巴郎山(ba lang shan)
の峠を経て成都を目指すのかと思いきや
八美(ba mei)から、S215方面に。
その後G318へ出て成都を目指すルートだった。
が!これがまたトラブルに。
G318に入って少し経ったころ
バスが停まった。
トイレ休憩でもない。
他の車も停まっている。対向車も国道で
メインの幹線道路だと言うのに走ってこない。
どうやら何か遥か前方で起っているようだ。
最初はそのうち解消すると思われた。
のが午後1時頃。しかし、待てども一向に動く気配無し
30分経過、
1時間経過。
今回は向こう側にはバス会社の別のバスは無い。
1時間半経過。
みんなもう諦めて狭い車内をでて
外でタバコ吸ったり
痰を吐いたり。笑
立ち話しに行ったりしている。
公安の車がサイレンを鳴らして追い越して行った。
何だろう?
2時間経った頃やっと公安の車を先頭に
対向車線から大量のトラックや乗用車がすれ違って行く
どうやら解消された様。
でもこちら車線は動かない。
片側交互通行の状態か。
対向車がそれはそれは長いこと大量に行ったあと
やっと渋滞の列が走り出す。
しばらく走って現れた通せんぼの元凶。
それは大型トラック、トレーラー3台に依る多重
衝突事故だった。
道の両端にと言っても国道だがそんなに広くない脇
によせられたトラック、トレーラーは無惨に
潰れ横たわっていた。
まだ、この時点で成都まで400キロ。
その後は順調に走って行った。
が、トイレ休憩や夕飯休憩などなど
遅れているにもかかわらず、確実に休憩をとって
いくので、もう、早く行こうぜと何度思った事か。
余談だけれど、ある休憩ポイントに寄ったとき
小便をしにトイレに入った。トイレは有料。
水洗でもない、奇麗でもないといれ
いわゆるしきりも何も無い「ニイハオトイレ」
噂には聞いていたし、何度もこんなトイレを
見て来たが、複数人で同時に、まさに
ニイハオの状態で入ったのは初めてで
俺は小だったけれど、3人は大。
生でニイハオトイレの現場を見てしまった。
貴重な体験だった。日本では絶対、
どこに行っても見られない異国ならではの光景。
と、また話がそれたが、
結局、高原地帯を降りて
雅安市に出たのが夜の10時過ぎ。
この時点で成都まで130キロ。
ここから高速に乗って行くけれど
途中で乗客を降ろしていくのでその度に降りる
時間、荷物を貨物室から取り出す時間が掛かって
成都に着いた頃は夜中の12時。
しかもどこで下ろされるのか分からないまま着いた
俺はタブレットのマップで確認して
こんなとこかよっ!
と南の石羊公交场站(shi yang gong jiao chang zhan)という
行きたいホステル、というか中心街から14キロ離れた
郊外のバス場だった。
出口には深夜に着いたバスの乗客向けに宿屋の客引きが
集まっていた。自転車を引いて客引きに話しかけた
外国人だけどといったら、外国人は駄目。という。
さすが中国!
こういうときに、不慣れな外国人は惜しみなく金を、
しかも外貨(そとからのお金と言う意味)を快く払って
くれるのにそれを拒む(というか拒まざるを得ないのか?
公安の指導の関係で)という。
さすが!!
仕方が無いので、チャリに跨がって走り始めた
漕いだら、バスでの揺れでハブの部品のひっかかりが
良くなったのかギアが滑らずに走れた。
深夜、この辺りは郊外過ぎて宿屋も少ない
あっても超高級そうな大酒店ばかり
その中で安そうな酒店えお発見、外にガードマン
彼に日本語で話しながら、
チャリを止める。するとなかへ入って手続きしてこい
と促す彼、受付で怠そうに店番していた若い
ノーブラの女の子。話すと
部屋は無いとの事。
少々、深夜で切れかかった。
だったら、ガードマン招き入れたのはなぜだ!??
ここは宿屋ではないのか!!??
もう中国がさすが過ぎて
部屋が無いという普通の事でも、さすが!
と思ってしまう深夜1時前。
実に36時間1200キロ弱の移動は
思えば運転手の7時間睡眠を
交代でバスの中で運転手が寝て走っていれば
最初の通せんぼと2回目の事故の3時間を
目をつむっても、午後5時頃には着いていたはずなのだ。
さすが中国!
結局、チェーン展開している経済型のホテルを側で
見つけ209元(3553円)と今まで泊まった宿の
なかで最高額だったが疲れきっていたし、14キロ走って
目当てのホステルにいこうかとも思ったけれど
何よりはやく休みたかったのでこれで手を打った。
いや〜今回は疲れた。
もう二度とあのバスには乗らねえ。
2017年6月19日と20日と21日の1時間。自転車走行は多分
2〜3キロ(バス場からホテルまで)
バス移動1166km、36時間。
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