カッパドキアには3泊。
最後の日は休憩日にして特に何もする事無く
部屋で飲んで過ごしていた。
翌朝、朝食を食べに部屋の外へ出てびっくり
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雪ですか。
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完全にホワイトクリスマスじゃないですか?
よりによって出発すると言う日になって。
朝食をとりながら迷っていた。
出ようか?延泊か?
しかし、いつまでもここにいても仕方が無い
ということで出る事にした
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猫さんも雪で大慌て
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雪のウチヒサルの城塞
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いままで標高が1000mを越えているにしては
それほど寒くない日が続いていた
がこの日を境に寒波でもやって来たのか?
極寒の5日間となる。
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初日は80キロそこそこ走って、アクサライの町に入る手前に
現れた松林でキャンプした。
天気も悪く風が冷たい。
翌日はルートをアクサライから北西にとった
当初は地中海側に向かって西進しようとしたけれど
あまりの内陸の寒さが応え、早くトルコ走行を終えたく
なったからだ。
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途中トゥズ湖という塩湖の傍らを走る
塩湖だけれども乾期ではないため水が張っていて
ただの湖にしか見えない。
残念。
2日目はトゥズ湖を越えたあたりの道路沿いの
死角でテント泊
翌日は首都アンカラへ向かう幹線道路
を行く。
朝から深い霧の中を走る。
途中から幹線道路を外れ
西へローカルロードを走る。
アップダウンが続き何個目かの峠
を登っていた時、いきなり霧が晴れ
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青い空とまぶしい太陽、そして雪景色
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本当に奇麗だった。
ハイマナという小さな町に夕方頃着いた
町の入り口にスーパーマーケットを見つけ
食料を補給して町を出た
郊外に現れた死角にてキャンプ。
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中国で買った拌麺用の調味料の四川風の
辛いのがまだ残っているのでそれを使って
野菜炒め。寒いときは辛いのが体があったまる。
翌朝、この日が一番寒かった
起きてみるとマイナス10℃
撤収する手がテントやポールに触れるたび
温度を奪われてかじかんで痛くなる。
天気も連日悪いし、風は冷たいし
気温が上がらないとなると、アウトドア活動の
自転車旅には応えるというか、楽しくなくなってくる
本当に走りながら今後のルートをどうするか悩んでた
この日はシブリヒサルという町まで100キロ程
走って、宿を取った。
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町の外れのバイパス沿いにあって買い物には
数キロ街中まで入って行く必要のある立地だった
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けれど、個室でバストイレ付きのダブルルーム
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で50リラ(1500円)と優良物件。
翌朝、何と朝食まで付いていた。
トルコで一番コスパの高かった宿では?
翌日はエスキシェヒルの町の手前でテント泊
翌日この70万都市を抜けて
走っていたところ、お昼頃だったが
一台のセダンが横付けして来て話しかけて来た
50歳ぐらいの男性。
何か話しながらみかんと林檎を運転席から差し出してくる
するとロシア語で「アツクーダ?」どこから来た?
と聞いて来た。ロシア語圏を旅していた時
コレだけは良く耳にしていたので覚えていた
「ヤポーニャ」日本だ
と応える。その後は
彼は英語で話して来た。
どうやら普段は自転車旅が趣味のような
トルコ人。ギリシャやセルビアなどへ走りに行くと
言っていた。
すると、腹減ってるか?この先3キロ程のところに
レストランがあるからそこで飯食べようぜ。先に行って
待ってるからという展開になり
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昼ご飯をごちそうになる。
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食べながら、お互いに怪しい英語で
お互いの事を話した。
かれは、自転車乗りを見つけるとこうして声を
掛けて一緒に時間を過ごしてるらしい。
お互いの連絡先など交換して
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記念撮影。
日本に行ったら連絡するからと
言っていた。
自転車旅の醍醐味の一つはこうした出会い
にある。楽しいひとときだった
その日標高800mから
一気に400mまで下ったせいか
寒さがおさまった。
道路脇の小さな川沿いでテント泊して
翌日最後の峠を500m程まで登って
下る。下る途中の公園で休憩
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水場もあってテーブル、椅子、トイレなどが
あってここでキャンプしたら快適では?と思っ
てしまった程だった
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その後、200万都市のブルサを抜けて
マルマラ海へ出る。
ここムダンヤからフェリーに乗って
一路年越し休憩のためイスタンブールを目指す
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