翌朝、8時頃から観光に出かけた。
宿は町のセントロ(中心)からすぐ近く
歩いて数分の場所にある。先ずはセントロの
ドゥオーモ(教会堂)を見に入ってみた。
外観はこんな感じ。
中は
観光する場所と言うよりは、実際に信者さんが
お祈りを捧げる場なので、音を立てないように
静かに見て回る。
中南米で散々、コロニアルな町並みを見てきて
イグレシア(教会)も見て来たが、ヨーロッパの
それはまた何か違う。何よりもきらびやかな感じ。
年代も違うだろうし、様式も違うだろうが、
こっちの方がオリジナルなのだろう。
オリジナルの風格が漂う。
まさに!偶像崇拝コレでもか!と言う程に
装飾が美しい。
さて、ポンペイの遺跡は町の北西に位置する。
およそ2000年前の西暦79年8月24日
のヴェスヴィオ火山噴火によって町が5mもの火山灰
の堆積によって埋まってしまった町
町が丸ごと発掘されて遺跡として公開されて
いるので結構大きい。
入り口も数カ所あって自分は円形闘技場に近い
入り口から入った
入場料13ユーロ。
朝早い事もあってか?オフシーズンの為か?
ほとんど人が居なかった。
円形闘技場の入り口
ローマにあるコロッセオのような円形闘技場が
各地に作られていたようで、ローマのそれとは
全然大きさが小さいけれど、ここで剣闘士たちの
戦いが繰り広げられたのだろうか?
古代ローマの公用語、ラテン語だろう。
あんまり奇麗なのでとても遺跡に感じなかった。
町の北には今もヴェスヴィオ山の姿が。
まるで富士山のような奇麗な形。
しかも今日はポンペイ晴れの快晴!
路地には石畳。そして石畳には昔の馬車?の轍の
あとがくっきりと残る。
公開されている建物の一つに入ってみる
壁には
2000年前の壁画が鮮やかに
火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、
壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められた
ポンペイ・レッドと呼ばれる美しい色合い
2000年前の姿とは思えない
ヴェスヴィオ山
この道路にある飛び石は古代の横断歩道
昔の公共水道(水汲み場)
至る所に見学出来る家があって、
本当に歩き疲れるほど町だった
居酒屋のカウンター。
こんなところでグビグビっと一杯やりたいものだ
町の西南にある公共広場。
ここまで来ると観光客一杯。
各国の人でにぎわう
いかにもローマの遺跡らしい町並み
今日は温かいですにゃ〜。
眠いですにゃ〜。
猫さんは何も知らないですにゃ〜。
逃げ後れた人が町のあちらこちらで死んでいた
当時の息絶えたそのままの姿を残して。
その上に降り積もった火山灰。
それが固まり、中の遺体が朽ち果てて空洞と
なる。その後発掘された時にその空洞に
石膏を流し込んで出来た昔の人々の断末魔の
姿。目の当たりにすると残酷だが
史実に基づいた世界があった事を今に伝える。
ある家の壁画。
美しい。
劇場跡
背景にヴェスヴィオ山を頂いて。
お腹がすいたですにゃ〜。
ご飯の時間ですにゃ〜。
ポンペイのある晴れた冬の1日。
2018年2月17日、走行0km。
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